片山組事件


片山組事件
最高裁判所第1小法廷判決 平成10年4月9日
判例タイムズ972号122頁

一 本件は、建設会社であるYに雇用されて以来21年以上にわたり建築工事現場における現場監督業務に従事してきた従業員で労働組合の執行委員長であるXが、一時的に籍を置いていた本社の工務監理部における非現場業務から新たな建築工事現場での現場監督業務を命ぜられたのに対し、一応右業務に就きつつ、以前からパセドウ病にり患しているから同業務のうち現場作業に従事したり午後6時以降の残業や休日出動をすることはできないと申し出て、「現在内服薬にて治療中であり、今後厳重な経過観察を要する。」と記載された医師の診断書や、疲労が激しく、動悸、発汗、貧血等の症状があり、右のような勤務しかできないなどという趣旨のX作成の病状説明書を提出したところ、Yから当分の間自宅治療を命ずるとの業務命令(以下「本件命令」という。)を受け、約4箇月後に現場復帰命令を受けるまでの間、就労を拒否されて、欠勤と取り扱われ、賃金の支払を受けられなかったことにつき、本件命令は、必要性がないのにされたものであり、また、不当労働行為に当たるから、無効であると主張して、右期間中の賃金及び一時金の支払を請求した事件である。
 一審判決(本誌835号199頁)は、Yが不当労働行為意思をもって本件命令をしたことを認めるには足りないが、Xは、本件命令までの間、課長の配慮によりXの申し出た制限的範囲で現場監督業務に従事していたのであり、YがXの就労を拒否しなければならなかった格別の事情は認められないし、前記診断書にもXの労務提供の可否、程度については記載がなく、病状説明書には真実に反して当時の病状を重く報告した点において責められるべきところがあるが、Yとしては、産業医の判断を求める等の客観的な判断資料の収集に努めるべきであって、これをせずにXの就労を拒否したのは、相当性を欠いた措置であったというべきであるから、Yは賃金支払義務を免れないと判示して、Xの請求を一部認容した。
これに対して、Yのみが控訴した。
 原判決(労民46巻2号689頁)は、労働者が労務の一部のみの提供しがすることができない場合には、債務の本旨に従った履行の提供とはいえないから、原則として使用者は労務の受領を拒否し賃金支払義務を免れ得るが、提供不能な労務の部分がわずかなものであるか、又は使用者が当該労働者の配置されている部署における他の労働者の担当労務と調整するなどして、当該労働者において提供可能な労務のみに従事させることが容易にできる事情があるなど、信義則に照らし、使用者が当該労務の提供を受領するのが相当であるといえるときには、使用者はその受領をすべきであり、これを拒否したときは、労働者は賃金請求権を喪失しないとした上で、Xは、現場監督業務のうち現場作業に係る労務の提供は不可能であり、事務作業に係る労務の提供のみが可能であったところ、本件工事現場においては、現場作業がほとんどであり、事務作業は補足的かつわずかなものにすぎず、信義則上事務作業をXに集中して担当させる措置を採ることが相当であったというべき事情がなく、Xの債務の履行が不能となったのであるから、Xは、本件不就労期間中の賃金及び一時金債権を取得しないなどと判断し二審判決を取り消して、請求を棄却した。
そこで、Xが上告した。
 上告理由は、原判決には「債務の本旨に従った履行の提供」の解釈適用を誤ったなどの違法があるというものである。
 二 原判決の一般論は、基本的に正しい視点を含んでいるが、そこで「提供すべき労務」と考えられているのは、「当該労働者の配置されている部署における」担当労務を指していることが明らかである。
上告理由は、この点を非難して、労働者の提供すべき労務は、たまたま配置されている部署における担当労務を基準として判断すべきではなく、使用者が行う事業に包摂される多様な業務について検討されなければならないと主張した。
 労働契約が職種や業務内容を限定せずに締結された場合における当該契約の趣旨を考えてみると、限定がないという理由で労働者が使用者の求めるいかなる内容の労務の提供をも約するものと解すべきではなく、使用者の行う事業に包摂される多様な業務いうち当該労働者の能力等に応じた相当な内容の業務を行うのに必要とされる平均的な労働力を提供することを約するものと解するのが相当であろう。
例えば、手作業による重い荷物の積下ろしが使用者の事業に包摂される業務の一つであるとしても、体力のない女子労働者は、それほど体力を必要としない業務に必要とされる労働力を提供すべき義務を負うにとどまる。
また、例えば、高度な科学知識を駆使しなければ行い得ない作業については、その知識を習得した者以外は、これに必要な労働力を提供すべき義務を負うものではない。
さらに、例えば製造部門では水準以上の労務を提供していた者を販売部門に異動させたところ労務提供の内容が期待される最低水準をも下回ったというような場合に、勤務評定上低く評価したり能率給の支給が制限されたりするのはよいとして、それだけで労務提供が債務の本旨に従ったものではないとして賃金の支払を全部拒絶し得るとはいえないであろう。
このほか、加齢により従来行うことができた労務に耐えられなくなることがあるが、極端な場合でなければ、それだけで労務提供が債務の本旨に従ったものでなくなるとはいえないであろう。
 本件のように、従来有していた能力の一部が疾病等のために一時的又は永久に失われた場合についてみても、例えば、ワープロ作業に従事していた労働者が私的な事故で左手の指が不自由となった結果、作業に著しい支障が出たような場合には、現に配置されている業務を基準に考える限り、労務の提供としては不十分といわざるを得ないし、当該労働者の配置されている部署は全員がワープロ作業に従事しているような場合には、当該部署の中で仕事のやりくりをすることも不可能ということになるが、当該労働者の職種がワープロ作業に限定されていたのではないならば、右事情から直ちに労働者が提供すべき労務の一部の提供がなく、債務の本旨に従った履行の提供がないものと断ずることは、相当とはいえないであろう。
むしろ、特定の作業を除けば、左手の指が不自由であっても、事務作業等にはほとんど支障がないのが通例であり、当該使用者の事業に包摂される業務にそのような事務がいくらでも存在し、当該労働者は、たまたま現在の部署に配属されてはいるが、そのような他の事務を行う部署に配属される現実的可能性もあるのであれば、当該労働者がそのような事務についてなら平均的な労働力の提供を期待することができ、その提供を申し出ている場合には、当該企業の実情からみて無理のない範囲内で配置換えをするなどして、当該労働者の労務の提供を受領すべきであり、これを拒否して賃金債務を免れることはできないものというのが相当である。
そのように考えないとすると、同じく左手の指が不自由になった労働者であっても、ワープロ作業を命じられていたならば賃金請求権を失い、一般事務作業を命じられていたならば賃金請求権を失わないということになるが、その合理性には問題があろう。
したがって、前述した労働者の能力は、採用後の教育、訓練、経験等により向上することがある反面、加齢や疾病により低下することもある程度は予想されているとみるべきであろう。
 これに対し、例えば、相当程度の経験を積み管理者的な地位に達した労働者が私傷病のため単純軽作業のみの労務の提供しかできなくなったという場合を考えると、当該使用者の事業に包摂される業務の中に単純軽作業が含まれていても、通常そのような作業は、就業経験の浅い訓練途上の労働者に割り当てられるのであり、右のような(それなりに高給の)労働者が就くことが予定されていない業務というべきであろう。
また、当該使用者の規模、業種によっては、私傷病により能力の低下した労働者に適する業務がないということもあり得るし、それがないわけではないとしても、当該企業における労働者の配置や異動の実情には様々なものがあり、当該労働者を直ちに適した業務に就かせることが必ずしも容易ではないことも十分あり得る。
そうすると、このような諸事情に照らして当該労働者が就労可能な業務に配置される現実的可能性があると認められる場合には、使用者は当該労務の提供が債務の本旨に従ったものではないとしてその受領を拒み賃金支払義務を免れることができないというべきであるが、右現実的可能性がない場合には、使用者は右受領を拒み賃金支払義務を免れることができると解するのが相当であろう。
 三 本件では、Xは、職種や業務内容を限定してYと労働契約を締結したとは認定されていないところ、パセドウ病のため、現場作業に従事することができず、残業等も制限されるが、事務作業には支障がなく、その提供の申出はしていたというのである。
Yは土木建築設計、施工、請負及び不動産業を営むいわゆるゼネコンであるから、その業務には現場監督業務のほかにも様々な事務作業が含まれていることが推測され、その規模は、従業員が約130名、東京本社のほかに札幌、大阪、福岡に支店を有するなどというのであり、Xが現場監督以外の事務作業に就く現実的可能性が全く予想されないわけではないことがうかがわれる。
そして、Xの主張によれば、傷病等のために現場監督業務から事務職に配置換えされた者が多数いるというのである。
そうすると、Xの能力、経験、地位、Yの規模、業種、Yにおける労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らしてXが配置される現実的可能性があると認められる業務が他にあったかどうかを検討した上でなければ、Xが債務の本旨に従った労務の提供をしなかったものと即断することはできないのであうて、原審は右の点について更に審理をしなければならなかったというべきである。
 本判決は、およそ以上のような考え方に立って原判決を違法とし、破棄差戻しをしたものとみられ、実務の参考となると思われるので、紹介する。
なお、Xの提供した労務が債務の本旨に従ったものといえるか否かは、現段階ではいずれともい入ず、差戻審における審理の結果により決まることとなる(ちなみに、以上の本判決の判断は、Xが現場監督業務のうち現場作業に係る労務の提供は不可能であり事務作業に係る労務の提供のみが可能であったとする原審の認定事実を前提としているが、一審判決は、前述のとおり、X提出の病状説明書は真実に反して当時の病状を重く報告したものであったと認定しており、原判決も、(1)Xは、平成2年夏に本件疾病を発病した後も、本件疾病にり患している旨の申出をすることなく、平成3年2月まで現場監督業務を続けた、(2)仮処分の審尋におけるXの主治医からの意見聴取により、Xの病状説明書は発病当時の病状を記載したものではないということのはか、平成4年1月時点では、Xの症状は仕事に支障がなく、スポーツも正常人と同様に行い得る状態であることなどが明らかになった、(3)そこで、Yは、同年2月5日、Xに対し、本件工事現場で現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を発したところ、Xは、同日以降、右命令に従い、異議を申し出ることもなく、本件工事現場における現場監督業務に従事した、とも認定している。
これらの事実からは、Xが本件不就労期間中も実は現場作業に耐え得る状態にあったという可能性もないわけではないように思われる。
本件において事実関係がそのようなものであったと仮定するならば、本判決の判断とは異なり、Xは、Yから従事するように命ぜられていた現場作業に従事することができるにもかかわらず、これに従事することができないと申し出ていたということになる。
その申出をもってXが事務作業以外の労務の提供を拒否したというべきであるとするなら、Xは、Yとの労働契約上の債務の履行の一部を、それが可能であるにもかかわらず拒絶したということになるから、債務の本旨に従った履行の提供をしたとはいえなくなり、Yはその受領を拒絶し得るということになるのではなかろうか。

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>