日本農薬事件


日本農薬事件

大学中退を高校卒としたこと、職務外の暴行により罰金刑をうけたことを詐称したとしても、右経歴詐称は懲戒解雇理由にあたるとまではいえないとされた事例。

佐賀地方裁判所判決

1976年9月17日

時報838号93頁

〔懲戒・懲戒解雇-懲戒事由-経歴詐称〕
 (二) ところで、使用者が労働者を採用するにあたって、履歴書等を提出させその経歴を申告させるのは、労働者の資質、能力等を評価し、当該企業の採用基準に合致するかどうかを判定する際の資料とするほか、採用後における労働条件の決定および労務配置の適正を図るための資料に供するためであるから、使用者側から、このような資料の提出を求められあるいは採用面接の際に自己の経歴等について質問された場合、真実を告げることは、信頼関係を基礎とする継続的契約である労働契約を締結しようとする労働者に課せられた信義則上の義務といわなければならない。従って、労働者が、自己の経歴について虚偽の事実を申告することは、重大な信義則違反行為であるとともに、使用者をして労働力の評価を誤らせ、ひいては企業の賃金体系を乱し適正な労務配置を阻害するおれそがあるから、使用者は、既に採用した労働者に経歴詐称の事実が発覚した場合、これを懲戒処分の事由とすることも原則として是認されるべきである。
 しかしながら、使用者は、いかなる者を採用し、いかなる部署に配置するかを自由に決定しうるものであるから、採用にあたり、労働者の資質、能力を評価しあるいはこれを適正に配置することは、もともと使用者の責任と危険においてなすべき事柄であるうえ、使用者が、労働者に対して行う懲戒処分は、本来企業秩序が侵害された場合に、これを回復することを目的としてなされる組織上の制裁であるから、経歴詐称を、懲戒解雇の事由とするためには、単に経歴詐称が、雇用契約締結上の信義則に違反するというだけでは足りず、労働者が、経歴詐称により、使用者をして、その資質、能力に対する適正な評価、判断を誤らせ、そのために、企業の賃金その他労働条件の体系を乱しあるいは適正な労務配置を阻害するなど企業秩序を現実に侵害した場合でなければならないと解するのが相当である。
 (中略)
 被申請人の右のような採用方針は、現段階においては、一応合理的な面を持つものといいうるが、いずれは雇傭状況の変化により、これを維持しえない事態が到来することも予想されなくはなく、また前記のように被申請人の佐賀工場において、高校卒以上の学歴を有する者がわずか一名にしろ現場作業員として採用されていることに徴しても、右の方針が、例外を許さないほど厳格に運用されているとも認め難く、さらに、申請人は、自己の最終学歴を実際より低位に申述したものであって、より高位の学歴を詐称した場合とは異なり、被申請人をして、自己の能力を過大評価させたものでもなかったうえ、《証拠略》を総合すると、申請人は、昭和四八年四月臨時採用されたのち、昭和四九年八月一三日の本件解雇に至るまでの約一年四か月にわたり、被申請人の佐賀工場において、主に農薬粉剤の製造に従事していたものであるが、申請人の担当していた労務内容は、特別の技能や経験を要するものではなく、極めて単純容易な作業であり、学歴の高低や職業経歴等によって特に影響を受ける性質のものではなかったこと、また本件解雇に至るまでの申請人の勤務成績も、他の従業員と比較して、農薬の調剤および混合の際、軽微なミスが多少多かったほかは、大差なく、申請人が被申請人の業務遂行上、特に弊害となるような言動に及んだりあるいは職場の人間関係に支障をきたすような問題を生じさせたりしたこともなかったこと、さらに賃金や賞与等の面においても、他の現場作業員と全く同様の待遇を受けていたことが一応認められるから、申請人が現場作業員としての能力、適性に欠けるところがあったものともいい難く、また前記経歴詐称により、被申請人の賃金体系および労務配置の適正が阻害されたこともなかったことが明らかである。
 さらに、《証拠略》を総合すると、申請人は、鳥栖公共職業安定所を通じて被申請人の従業員募集に応募したものであるが、被申請人においては、同職業安定所に募集依頼をするにあたり、募集対象者の学歴を高校卒業程度と指定しただけで、特にそれ以上の高学歴者は、大学中途退学者も含めてすべて除外するとの条件を明示していたわけでもなく、また、被申請人の佐賀工場において行われた採用説明会においても、労働条件や賃金および作業内容等について主に説明されたにすぎなかったため、申請人としては、被申請人の前記採用方針を事前に知りうる機会が与えられていなかったこと、被申請人においては、申請人を臨時採用したのち、申請人の経歴等につき、興信所に依頼して独自に調査したが、右調査がずさんであったため、申請人が国立A大学を中途退学していたことに気付かないまま本採用したものであり、その後昭和四九年五月になって、申請人の経歴を再度調査確認した際、はじめて経歴詐称の事実を発見するに至ったものであることが一応認められ、右の事実によれば、被申請人の現場作業員の募集方法は必ずしも適切妥当なものであったとはいい難く、また、申請人の採用にあたっても、その経歴等につき十分な調査を怠ったものといわなければならない。
 また、《証拠略》によると、申請人が被申請人から提出を求められた履歴書に大学中退の事実を記載しなかったのは、大学を卒業していないので最終学歴を高校卒と記載して差しつかえないと考えたことと大学では学生運動に関係していたためあまり触れられたくなかったという気持ちからであって、大学を退学した理由も、学業を続ける意欲を失ったことによるものであり、学生運動に関係して処分を受けたためではなかったことが一応認められるから、その勤務、態様において必ずしも悪質重大なものであったとも断定し難い。
 以上の諸点を総合すると、申請人の前記経歴詐称は、被申請人の企業秩序を現実に侵害する程のものではなかったものと認められるから、これをもって懲戒解雇事由とすることはできないものといわなければならない。
〔懲戒・懲戒解雇-懲戒事由-有罪判決〕
 2 刑事処分について
 (一) 申請人が、昭和四八年六月二五日佐賀地方裁判所において暴行罪により罰金二万円の有罪判決を受けたことは当事者間に争いがなく、《証拠略》を総合すると、右の暴行事件は、昭和四七年一二月一〇日、申請人の寄宿先の婦人が、家主に対し、日ごろの子供に対する仕打ちについて難詰中、同人から肩を押されたことを目撃した申請人が、憤慨して、とっさに、右両名の間に割って入り、家主の顔面を手拳で四、五回殴打したというものであったことが一応認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。
 (二) ところで、被申請人の労働協約二五条七号および就業規則五七条七号は「刑事上の問題で処罰を受けたときは懲戒解雇される」旨規定していること前記認定のとおりであるが、右の懲戒処分も、前述のように企業秩序違反に対する組織上の制裁であるから、就労に関する規律と無関係な従業員の私行上の非行は、それが企業の信用を失墜させあるいは企業の利益を害するような場合にかぎって懲戒処分の対象となりうるものと解され、被申請人の右労働協約および就業規則の各規定も、この限度において懲戒解雇の根拠規定となるにすぎないというべきである。
 (三) これを本件についてみるに、申請人の前記暴行事件は、前記のように、申請人が被申請人の従業員として採用される以前の偶発的事犯であり、その態様も単純かつ軽微であって、宣告刑も罰金二万円という軽いものであったうえ、申請人は被申請人の一工員として勤務していたものにすぎないから、申請人が前記犯罪により刑事処罰を受けたからといって、直ちに被申請人の信用を失墜させあるいはその利益を害したとも考えられず、これによって被申請人の職場秩序が侵害されたともいい難い。
 そうすると、申請人が前記刑事処分を受けたことをもって、懲戒解雇事由とすることもできないものというべきである。
カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>