小田急電鉄事件


小田急電鉄事件
東京高等裁判所判決 平成15年12月11日

主   文

 1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は,控訴人に対し,金276万2535円及びこれに対する平成14年2月14日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを10分し,その3を被控訴人の負担とし,その余を控訴人の負担とする。
5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は,控訴人に対し,金920万8451円及びこれに対する平成12年12月6日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人
控訴棄却
第2 事案の概要
1 本件は,度重なる電車内での痴漢行為を理由に被控訴人会社から懲戒解雇された控訴人が,解雇手続には瑕疵があるし,事案の程度等からして重すぎる処分であるとして,解雇は無効であり,また,懲戒解雇に伴い退職金を不支給とするには,長年の功労を消し去るほどの不信行為が必要であるが,本件ではそれがあったとはいえないなどと主張して,退職金相当額920万8451円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた事案である。
原判決は,控訴人の請求を棄却した。これに対して控訴人が不服を申し立てたものである。
2 以上のほかの事案の概要は,次のとおり付加するほか,原判決の事実及び理由欄第2記載(1頁以下)のとおりであるから,これを引用する。
(控訴人の当審における主張)
(1) 本件懲戒解雇の無効について
ア 原判決は,本件懲戒解雇手続において,弁明の機会が十分与えられたとした。
しかし,本件で,控訴人は,留置場の異常な状況下で,限られた時間で事実を認めたにすぎないし,自認書を保留あるいは拒否したり,それ以外のことを話せたりする状況ではなかった。弁明の機会の実質的保障はなかったというべきであるから,本件懲戒解雇手続には瑕疵があり,無効である。
イ 本件の痴漢行為は,犯罪行為ではあるが,刑法ではなく条例による処罰である。その法定刑(改正前)は懲役6月までであり,窃盗や業務上横領などと比較しても,はるかに軽いし,控訴人は,その上限でも処罰されていない。なお,痴漢行為でも悪質なものは,強制わいせつで起訴されるのが通例であり,本件はそのような場合ではない。本件は報道等の形で公になっていないし,仮に,痴漢行為に伴い被控訴人の会社名が報道されたとしても,世間はあくまで当該従業員個人の問題としてとらえるのであって,会社に重大な悪影響があるとはいえない。なお,電鉄会社が痴漢撲滅運動に力を入れているというのは,本件懲戒解雇後のことである。
ウ 本件懲戒解雇当時,被控訴人の社内規定における懲戒処分の種類は,昇給停止の次が懲戒解雇であった。しかし,これでは実情にあった処分が難しいことから,平成13年7月に諭旨解雇の導入が決定された。これは解雇はするが,退職金は支給するというものであり,本件当時も,諭旨解雇があればそれが選択された可能性が高い。制度変更したことは,被控訴人が懲戒解雇の選択には実情に合わない場合があることを認めたことにほかならない。
エ 上記イ記載のとおり,本件の痴漢行為は,会社の業務を阻害したり,会社に不利益を与えたりしていない。そのような場合には,当該行為に対する会社内の評価が厳しいものであっても,それだけで懲戒解雇の事由があるというべきではない。会社に対する不利益の程度に応じた懲戒処分であるべきであり,懲戒解雇は過酷にすぎ,無効である。
(2) 本件退職金不支給について
ア 退職金は,賃金の後払いであり,従業員の私生活のことを理由として,しかも,将来に害をなす可能性があるというだけで,過去に働いた分を奪い取ることが許されて良いはずはない。特に,被控訴人のように,支給基準が明確であれば,その賃金としての性質は一層強まるのであり,よほどのことがない限り奪われるべきではない。退職金に功労報償的な性質が併存するとしても,なお,十分に保護されるべき賃金であることに変わりはない。
イ 本件では,被控訴人に具体的損害は発生していないし,被控訴人には退職金支払の引当てもあったと思われる。その一方で,退職金を資産として計算していた控訴人に対し,刑事責任を課し,被害者への民事責任を果たさせ,懲戒解雇という社会的制裁を加え,さらに,控訴人の退職金を奪い取る必要はない。退職金の不支給は,長年の勤続の労を抹消する不信行為があった場合に限られるのであるから,実際に会社の名誉,信用その他の社会的評価の低下毀損がない段階で,勤続の労を抹消するのは行きすぎである。
ウ 懲戒解雇の有効性と退職金不支給の有効性の判断は,分けて考えるべきであり,同じ基準を当てはめるべきではない。懲戒解雇には,企業が将来の損害を予防する側面があるが,退職金はすでに労働者が働いて権利として成立しているものであり,これを企業に支払わせることは企業に無理を強いるものではない。それでもなおこれを支払わせるのが正義に反するという場合に不支給が認められるべきである。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は,控訴人の請求は,金276万2535円及びこれに対する平成14年2月14日から支払済みまで年6分の割合による金員の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がないものと判断する。その理由は,次のとおりである。
(1) 本件の事実関係
証拠(甲1,8,10ないし12,14,15,24,25,乙1ないし6,9ないし17,19,20ないし24,27ないし30,当審証人D,当審での控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被控訴人は,鉄道事業等を主たる業務とする株式会社である。控訴人(昭和36年生)は,昭和55年4月1日,被控訴人に入社し,以来,約9年間,ホームや改札等の駅業務に従事し,その後,約11年間は,案内所に勤務し,予約受付けや,国内旅行業務の仕事に従事していた。控訴人の勤務態度は非常に真面目であり,問題はなかった。控訴人は,勤続12年目の平成4年ころ,社内の試験を受けて主任に昇進し,また,平成8年ころには,国家試験である旅行業の取扱主任の資格を取得した。控訴人は,主任に昇進する少し前に,肩書住所地の土地建物を購入した。
イ 控訴人は,平成12年5月1日午後2時ころ,飲酒してA線に乗車中,電車に乗っていた女子大生に対して,スカートの上から臀部を撫でるという痴漢行為を行った。この事件で,控訴人は,逮捕勾留されたのち,東京都の公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為の防止に関する条例(東京都迷惑防止条例)違反で略式起訴され,罰金20万円に処せられた。被控訴人の担当者が,その釈放後に控訴人から事情聴取したところ,控訴人は,そのほかに平成9年12月にも痴漢行為を行い,逮捕起訴されて5万円の罰金刑に処せられたことも自供した。なお,控訴人は,平成3年にも痴漢行為で検挙され,罰金3万円に処せられたことがあるが,このときは,この事件のことは話していない。
ウ 被控訴人は,上記平成12年5月の事件につき,労働組合の代表も委員となっている賞罰委員会を開催したうえ,同年6月14日,鉄道業に携わる者が,破廉恥行為を再犯し,悪質な行為に及んだことは,他の係員に対する背信行為であり,懲戒解雇に処すべきところであるが,事件の重大性を自覚し,深く反省していることや,その行為が外部に発覚することがなかったこと等を考慮し,控訴人を昇給停止及び降職に止めるとの処分をした。これにより,控訴人は,案内所の案内主任であったが,主任職を外されることになった。なお,控訴人は,同月15日,今後,このような不祥事を発生させた場合には,いかなる処分にも従うので,寛大な処分をお願いしたいとの始末書(乙6)を作成し,被控訴人に提出した。
エ 控訴人は,平成12年11月21日,午前7時50分ころ,B線の電車内で女子高校生の臀部をスカートの上から撫で回した上,右手をそのスカート内に差し入れ,右手指でその左臀部を撫で回すなどの痴漢行為(本件行為)を行い,逮捕されたのち,同年12月1日,勾留されたまま,公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為の防止に関する条例(さいたま県迷惑防止条例)違反で正式起訴された。控訴人は,本件行為により,平成13年2月20日,浦和(現さいたま)地方裁判所で,懲役4月,執行猶予3年の有罪判決を受け,同判決は確定した。なお,本件行為につき,被害者との間では示談が成立している。
オ 控訴人は,本件行為で大宮警察署に勾留中の平成12年11月24日,同月27日及び同月28日,被控訴人の担当社員らの面会を受けた。控訴人は,その際,本件行為を認めるとともに,前記平成3年の痴漢行為についても,同社員らに話した。そして,控訴人は,同月28日には,本件行為を認め,被控訴人のいかなる処分についても一切弁明をしない旨の「自認書」と題する被控訴人宛の書面(乙4)に署名押印した。
カ 被控訴人は,賞罰委員会の討議を経て,平成12年12月5日,控訴人が同年11月21日に本件行為を行い,逮捕勾留後,上記の条例違反で起訴されたことをもって,鉄道係員懲戒規程7条5号に該当するとして,控訴人を懲戒解雇した。同規程(乙1)の7条5号とは,鉄道係員が「業務の内外を問わず,犯罪行為を行ったとき」は,「降職,昇給停止または懲戒解雇に処する。ただし,情状により,出勤停止に止めることができる。」との規程である。なお,同規程は,その後改正され,新たに諭旨解雇の条項が設けられた。これは依願退職ではなく,会社側からの雇用契約の解除であるが,退職金については,最高で,本来の支給額の50%が支払われることになっている。
キ 被控訴人には,基本的には,初任給等を基礎として定められる退職金算定基礎額及び勤続年数を基準として算出した退職金を支給する旨の退職金支給規則(乙2)がある。これに基づき算出した控訴人の退職金の額(各種加給金を含まないもの)は,勤続20年9月になることから,920万8451円であった。ただし,同規則の4条には,「懲戒解雇により退職するもの,または在職中懲戒解雇に該当する行為があって,処分決定以前に退職するものには,原則として,退職金は支給しない。」との条項(本件条項)があり,被控訴人は,これに基づき,上記退職金を支給しなかった。もっとも,被控訴人は,控訴人の懲戒解雇につき,本人及び家族の当面の生活設計を考慮し,解雇予告の除外認定手続(労働基準法20条3項,19条2項)をとらず,控訴人に対し,解雇予告手当44万1300円及び平成12年度の冬季一時金45万5873円を支払った。
ク 控訴人は,肩書住居地の土地建物の購入資金として,被控訴人から1560万円を借り受け,同土地建物に抵当権を設定していた。本件の懲戒解雇に伴い,被控訴人は,その残債権約1186万円を抵当権とともに,住宅資金貸付保険契約を締結していたC保険株式会社に譲渡した(甲6)。そして,同保険会社は,平成13年10月,保険代位金の一括弁済を求める書面(甲7)を控訴人に送付した。なお,控訴人は,上記土地建物の取得のため,住宅金融公庫からも1000万円余の借入れをし,抵当権を設定した。その債権は,その後,抵当権とともに,信用保証会社に移転しているが,その債務も1000万円くらい残っている。
ケ 控訴人は,懲戒解雇後は,警備会社に勤務し,警備員をしている。月給は手取りで約20万円で賞与はなく,被控訴人に勤務していたころに比べると年収で350万円くらいの減収になっている。家族は妻と中学生の子供二人で,妻もパートをしているが,月6万円くらいしか収入がなく,年間の世帯収入は300万円を少し超える程度である。控訴人は,上記住宅金融公庫関係のローンの支払はなんとか継続しているものの,被控訴人から借り入れ,保険会社に移転したローンについては,その支払ができないため,代理人弁護士を通じて,本訴の決着が付くまで,その支払を猶予してもらっている。控訴人は,その結論いかんでは,上記土地建物を処分することも考えているが,おおよそ1500万円くらいでしか売れない見通しであり,いずれにせよ,ローン債務は残るため,自己破産の申立ても検討している。
コ 被控訴人における過去10年間の懲戒処分事例をみると,社会的に鉄道係員としての特段のモラルを求められる行為を本人が故意に犯した事例すなわち,定期券を無断作成し,その代金を着服した行為や,駅コインロッカーの収入金の着服行為などでも,退職金のうち30%が支払われている事例がある。なお,被控訴人は,本件行為のあった平成12年11月以前から,電車の中で痴漢撲滅のスポット放送を流すなど,電鉄会社として,痴漢撲滅運動に取り組んでいた。
(2) 本件懲戒解雇の効力について
ア 本件懲戒解雇がその手続に瑕疵がなく,また,処分の内容としても相当な範囲を逸脱したものといえず,有効なものであることは,原判決事実及び理由欄第3の1及び2(9頁以下)記載のとおりである。
イ 控訴人は,本件で,控訴人は,留置場という異常な状況下で,限られた時間で事実を認めたにすぎないし,自認書を保留あるいは拒否したり,それ以外のことを話せたりする状況ではなく,弁明の機会の実質的保障はなかったから,本件懲戒解雇手続には瑕疵があると主張する。
しかし,証拠(乙29,32,当審での控訴人本人)によれば,控訴人は,上記の被控訴人の担当者らとの面接の際,未だ申告していなかった平成3年の痴漢行為についてもみずから話すなどしているし,その際の会話の内容(乙29)などからみても,自由に弁明ができないような状況であったとは認め難い。
上記控訴人の主張は採用し難い。
ウ 控訴人は,本件行為は,犯罪行為ではあるが,刑法ではなく条例による処罰であること,その法定刑(改正前)は懲役6月までで,窃盗や業務上横領などと比較しても,はるかに軽いし,控訴人は,その上限でも処罰されていないこと,なお,痴漢行為でも悪質なものは強制わいせつで起訴されるのが通例であるが,本件はそのような場合ではないこと,本件行為が報道等の形で公になったことはないし,仮に,痴漢行為に伴い被控訴人の会社名が報道されたとしても,世間はあくまで当該従業員個人の問題としてとらえるのであって,会社に相当重大な悪影響があるとはいえないこと,なお,電鉄会社が痴漢撲滅運動に力を入れているというのは,本件懲戒解雇後のことであること,さらに,本件懲戒解雇当時,被控訴人の社内規定における懲戒処分の種類は,昇給停止の次が懲戒解雇であったが,それでは実情にあった処分が難しいことから,平成13年7月に諭旨解雇が導入されたこと,本件当時も,諭旨解雇があればそれが選択された可能性が高いことなどからして,本件懲戒解雇処分は不当であると主張する。
エ しかし,痴漢行為が被害者に大きな精神的苦痛を与え,往々にして,癒しがたい心の傷をもたらすものであることは周知の事実である。それが強制わいせつとして起訴された場合はともかく,本件のような条例違反で起訴された場合には,その法定刑だけをみれば,必ずしも重大な犯罪とはいえないけれども,上記のような被害者に与える影響からすれば,窃盗や業務上横領などの財産犯あるいは暴行や傷害などの粗暴犯などと比べて,決して軽微な犯罪であるなどということはできない。
まして,控訴人は,そのような電車内における乗客の迷惑や被害を防止すべき電鉄会社の社員であり,その従事する職務に伴う倫理規範として,そのような行為を決して行ってはならない立場にある。しかも,控訴人は,本件行為のわずか半年前に,同種の痴漢行為で罰金刑に処せられ,昇給停止及び降職の処分を受け,今後,このような不祥事を発生させた場合には,いかなる処分にも従うので,寛大な処分をお願いしたいとの始末書(乙6)を提出しながら,再び同種の犯罪行為で検挙されたものである。このような事情からすれば,本件行為が報道等の形で公になるか否かを問わず,その社内における処分が懲戒解雇という最も厳しいものとなったとしても,それはやむを得ないものというべきである。
オ なお,控訴人は,被控訴人が痴漢撲滅運動に力を入れているのは,本件懲戒解雇後のことであると主張するが,被控訴人が本件行為のあった平成12年11月以前から会社を挙げて痴漢撲滅運動に取り組んでいたことは,証拠(乙22ないし24,いずれも枝番を含む。)から明らかである。上記控訴人の主張は採用し難い。
また,本件懲戒解雇後,諭旨解雇の制度が設けられていることは上記(1)認定のとおりであるけれども,本件の処分当時,そのような制度がなかった以上,それが直接,本件懲戒解雇処分の当否に影響を及ぼすものではない。なお,上記エのような本件行為に至る経緯及びその内容等からすれば,必ずしも,本件が,本来は諭旨解雇に該当する事案であるともいい切れない。
(3) 本件退職金の不支給について
ア 被控訴人には,基本的には,初任給等を基礎として定められる退職金算定基礎額及び勤続年数を基準として算出した退職金を支給する旨の退職金支給規則があること,そして,同規則の4条には,「懲戒解雇により退職するもの,または在職中懲戒解雇に該当する行為があって,処分決定以前に退職するものには,原則として,退職金は支給しない。」との条項(本件条項)があることは,上記(1)認定のとおりである。
上記のような退職金の支給制限規定は,一方で,退職金が功労報償的な性格を有することに由来するものである。しかし,他方,退職金は,賃金の後払い的な性格を有し,従業員の退職後の生活保障という意味合いをも有するものである。ことに,本件のように,退職金支給規則に基づき,給与及び勤続年数を基準として,支給条件が明確に規定されている場合には,その退職金は,賃金の後払い的な意味合いが強い。
そして,その場合,従業員は,そのような退職金の受給を見込んで,それを前提にローンによる住宅の取得等の生活設計を立てている場合も多いと考えられる。それは必ずしも不合理な期待とはいえないのであるから,そのような期待を剥奪するには,相当の合理的理由が必要とされる。そのような事情がない場合には,懲戒解雇の場合であっても,本件条項は全面的に適用されないというべきである。
イ そうすると,このような賃金の後払い的要素の強い退職金について,その退職金全額を不支給とするには,それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。ことに,それが,業務上の横領や背任など,会社に対する直接の背信行為とはいえない職務外の非違行為である場合には,それが会社の名誉信用を著しく害し,会社に無視しえないような現実的損害を生じさせるなど,上記のような犯罪行為に匹敵するような強度な背信性を有することが必要であると解される。
このような事情がないにもかかわらず,会社と直接関係のない非違行為を理由に,退職金の全額を不支給とすることは,経済的にみて過酷な処分というべきであり,不利益処分一般に要求される比例原則にも反すると考えられる。
なお,上記の点の判断に際しては,当該労働者の過去の功,すなわち,その勤務態度や服務実績等も考慮されるべきことはいうまでもない。
ウ もっとも,退職金が功労報償的な性格を有するものであること,そして,その支給の可否については,会社の側に一定の合理的な裁量の余地があると考えられることからすれば,当該職務外の非違行為が,上記のような強度な背信性を有するとまではいえない場合であっても,常に退職金の全額を支給すべきであるとはいえない。
そうすると,このような場合には,当該不信行為の具体的内容と被解雇者の勤続の功などの個別的事情に応じ,退職金のうち,一定割合を支給すべきものである。本件条項は,このような趣旨を定めたものと解すべきであり,その限度で,合理性を持つと考えられる。なお,上記(1)認定のように,被控訴人において,過去に,懲戒解雇の場合であっても,一定の割合で減額された退職金が支給された例があることは,本件条項を上記のように解すべきことの1つの裏付けとなるものである。また,本件後に被控訴人の会社で設けられた諭旨解雇の制度において,退職金の一定割合の支給が認められているのも,上記の解釈と基本的に通じる考え方に基づくものと理解される。
エ 本件でこれをみるに,本件行為が悪質なものであり,決して犯情が軽微なものとはいえないこと,また,控訴人は,過去に3度にわたり,痴漢行為で検挙されたのみならず,本件行為の約半年前にも痴漢行為で逮捕され,罰金刑に処せられたこと,そして,その時には昇給停止及び降職という処分にとどめられ,引き続き被控訴人における勤務を続けながら,やり直しの機会を与えられたにもかかわらず,さらに同種行為で検挙され,正式に起訴されるに至ったものであること,控訴人は,この種の痴漢行為を率先して防止,撲滅すべき電鉄会社の社員であったことは,上記(2)記載のとおりである。
このような面だけをみれば,本件では,控訴人の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があったと評価する余地もないではない。
オ しかし,他方,本件行為及び控訴人の過去の痴漢行為は,いずれも電車内での事件とはいえ,会社の業務自体とは関係なくなされた,控訴人の私生活上の行為である。
そして,これらについては,報道等によって,社外にその事実が明らかにされたわけではなく,被控訴人の社会的評価や信用の低下や毀損が現実に生じたわけではない。なお,控訴人が電鉄会社に勤務する社員として,痴漢行為のような乗客に迷惑を及ぼす行為をしてはならないという職務上のモラルがあることは前述のとおりである。しかし,それが雇用を継続するか否かの判断においてはともかく,賃金の後払い的な要素を含む退職金の支給・不支給の点について,決定的な影響を及ぼすような事情であるとは認め難い。
カ さらに,上記(1)認定事実からすれば,被控訴人において,過去に退職金の一部が支給された事例は,いずれも金額の多寡はともかく,業務上取り扱う金銭の着服という会社に対する直接の背信行為である。本件行為が被害者に与える影響からすれば,決して軽微な犯罪であるなどとはいえないことは前記説示のとおりであるが,会社に対する関係では,直ちに直接的な背信行為とまでは断定できない。そうすると,それらの者が過去に処分歴がなく,いわゆる初犯であった(当審証人D)という点を考慮しても,それが本件事案と対比して,背信性が軽度であると言い切れるか否か疑問が残る。
加えて,控訴人の功労という面を検討しても,その20年余の勤務態度が非常に真面目であったことは被控訴人の人事担当者も認めるところである(当審証人D)。また,控訴人は,旅行業の取扱主任の資格も取得するなど,自己の職務上の能力を高める努力をしていた様子も窺われる。
キ このようにみてくると,本件行為が,上記イのような相当強度な背信性を持つ行為であるとまではいえないと考えられる。
そうすると,被控訴人は,本件条項に基づき,その退職金の全額について,支給を拒むことはできないというべきである。しかし,他方,上記のように,本件行為が職務外の行為であるとはいえ,会社及び従業員を挙げて痴漢撲滅に取り組んでいる被控訴人にとって,相当の不信行為であることは否定できないのであるから,本件がその全額を支給すべき事案であるとは認め難い。
ク そうすると,本件については,上記ウに述べたところに従い,本来支給されるべき退職金のうち,一定割合での支給が認められるべきである。
その具体的割合については,上述のような本件行為の性格,内容や,本件懲戒解雇に至った経緯,また,控訴人の過去の勤務態度等の諸事情に加え,とりわけ,過去の被控訴人における割合的な支給事例等をも考慮すれば,本来の退職金の支給額の3割である276万2535円であるとするのが相当である。
ケ 上記退職金に対する遅延損害金については,本件では,その支給時期や,支払の催告についての具体的な主張,立証がない。
そうすると,上記退職金については,本件の訴状が被控訴人に送達された日である平成14年2月7日から,労働基準法23条1項に定める7日の期間が経過した翌日である同年2月14日から遅滞が生じると解すべきである。
また,本件の雇用契約は商法503条の附属的商行為に当たると解されるので,上記退職金の遅延損害金の割合は,請求どおり,商事法定利率である年6分の割合によるべきものである。
2 結論
したがって,被控訴人は,控訴人に対し,退職金として,276万2535円及びこれらに対する平成14年2月14日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
そこで,控訴人の請求を上記の限度で認容することとし,これと異なる原判決を一部変更することとする。
よって,主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成15年7月1日)
東京高等裁判所第19民事部
裁判長裁判官    淺 生 重 機
裁判官    及 川 憲 夫
裁判官    竹 田 光 広

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